数十年前、米国の株式市場では大規模なインサイダー取引事件が相次ぎ、規制当局は企業関係者による不正行為に刑事罰を科すようになった。
1986年、裁定取引を手がけていたアイバン・ボウスキーは、大型の合併・買収に先立って企業の内部情報を提供した人物に対し、その情報を基に得た純利益の一部を報酬として支払っていた。ボウスキーが築いた個人資産は推定2億ドルだった。
悪名高いボウスキー事件を受け、米議会は1988年にインサイダー取引・証券詐欺執行法を成立させた。同法は刑事罰を強化したほか、内部告発者への報奨制度を設け、従業員による取引を適切に監督しなかった企業にも責任を負わせるものだった。
予測市場も、かつて株式市場を変えたインサイダー取引をめぐる公正性の試練に直面
米司法省の起訴状によると、米陸軍特殊部隊に所属する現役軍人のギャノン・ケン・バン・ダイク曹長は、同年1月3日に実施された軍事作戦の計画と実行に関与していたとされる。この作戦では、ベネズエラの指導者ニコラス・マドゥロ氏とその妻が、カラカスにある住居で拘束された。
バン・ダイクは、インターネット上の活動を隠すためにVPNを使用し、ポリマーケット(Polymarket)に口座を開設した。機密扱いの非公開情報である作戦日程を基に約3万3000ドルを賭け、マドゥロ氏が拘束された後、40万9000ドル以上の不正な利益を得たとされる。

米司法省は2026年4月23日、連邦起訴状の封印を解除した。バン・ダイク被告は、政府の機密・非公開情報の不正利用と窃取、商品取引詐欺を含む商品取引法違反、通信詐欺、違法な金融取引の罪で起訴された。通信詐欺罪の法定最高刑は20年となる。
また、米商品先物取引委員会は2026年3月12日、予測市場に関するスタッフ・アドバイザリーと、将来の規則制定に向けて意見を募る規則制定事前告示を公表した。
スタッフ・アドバイザリーは、指定契約市場に対し、取引のリアルタイム監視や異常取引の調査など、商品取引法に基づく既存の監督義務を再確認した。また、情報源に対する信頼義務に反して機密情報を流用する行為は、インサイダー取引に当たり得るとの見解を示した。
Kalshi、インサイダー取引対策の強化策を発表
Kalshiは2026年6月9日、ボビー・デノー氏名義で、市場の公正性を高めるための制度変更を発表した。
Kalshiは、インサイダー取引や相場操縦のリスクが高い市場にリスクスコアを付与し、一定のスコアに該当する市場では、利用者の雇用情報を収集して潜在的なインサイダーを審査する仕組みを導入した。
Kalshiは、この勤務先情報と取引パターンを照合して監視する。勤務先から通報があった場合や、社内システムが異常を検知した場合には、口座を一時停止し、雇用関係を証明する書類の提出を求める。さらに、利益相反に当たる可能性のある取引を制限し、インサイダー取引が疑われる場合には、連邦法執行機関へ直接通報する。
勤務先の開示だけでは予測市場のインサイダー取引を解決できない
NADA NEWSによる独占インタビューの後編で、Predictive Labsのヨハン・エブラールCEOは、予測市場が機能するには情報面での優位性が必要であるため、インサイダー取引を証券市場と同じように定義することは根本的に難しいと指摘した。
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エブラール氏は、Kalshiの勤務先開示方針は明白な利益相反を抑止する可能性はあるものの、非公開情報を巧妙に悪用する行為を発見できる可能性は低いとの見方を示した。
議論の出発点となるのは、業界がインサイダーという言葉をどのように定義するかだという。
「インサイダーという言葉は株式市場に由来する。株式市場では明確な意味を持っており、機密情報を保有し、その情報を使って取引してはならない義務を負う人物を指す。しかし、予測市場の仕組みは異なる。予測市場は、大衆よりも多くのことを知っている人に報酬を与えるために存在している」
証券市場とは異なり、予測市場は各所に分散した情報を集約するよう設計されている。公開情報から他の参加者よりも早く正しい結論を導き出したトレーダーが利益を得ることは当然とされており、情報面での優位性は欠陥ではなく、予測市場に欠かせない特徴となっている。
一方、地政学的危機や法執行機関による捜査を対象とする市場では、この区別が一層曖昧になる。市場参加者が機密情報を持っているのではなく、単に他者より優れた分析力を持っているだけという場合もあるためだ。
「難しいのは、正当な分析がどこまでで、禁止される情報の利用がどこから始まるのかを判断することだ」とエブラール氏は述べた。
同氏によると、勤務先の開示は、あくまで限定的な第一段階の防御策にすぎない。情報面での優位性が明らかに職業上の立場から生じている人物は特定できる可能性があるが、情報優位の多くは、個人的な人脈、専門知識、独自の調査など、勤務先以外の経路からも生まれる。
このため、開示義務によって把握できるのは主に明白な利益相反に限られ、巧妙な手口で非公開情報を利用する参加者への影響は小さいという。
取引者の属性に基づく対策より、市場監視の方が有効な可能性
エブラール氏は、トレーダーの身元だけに注目するのではなく、予測市場の運営事業者は通常とは異なる市場の動きに、より多くの注意を払うべきだと考えている。
一方向に偏った大規模なポジション、取引高の急増、複数のプラットフォーム間で生じる価格の異常などは、捜査当局が相場変動の理由を把握するよりも前に現れることが多い。
Predictive Labsが独自に開発した分析の枠組みでは、複数の取引プラットフォームを横断してこうした構造的な変化を監視し、過去の通常のパターンから大きく外れた取引を抽出している。
「本物の情報優位は、その情報源が明らかになるより先に、取引そのものに表れることが多い」
こうした監視によって、取引が正当だったのか、不適切だったのかを直接判断できるわけではない。ただし、規制当局、報道機関、市場参加者に対し、さらに詳しい調査が必要であることを示す客観的なシグナルを提供できる。
エブラール氏はまた、個別の取引プラットフォームだけに適用される規制対応が、意図せず取引を規制の緩いプラットフォームへ移動させる可能性があると警告した。
勤務先の開示義務は個々の取引所内でしか適用されないため、匿名性を求めるトレーダーは、仮名での参加が一般的な暗号資産を基盤とする予測市場へ移る可能性がある。
「取引行動は、規制よりもはるかに簡単にプラットフォームをまたいで移動する。あるプラットフォームが特定の市場を厳しく取り締まるほど、一部の取引が別の場所へ移る動機は強くなる」
ステーブルコインは予測市場成長の入り口であり、上限ではない
予測市場は、ステーブルコインの普及とともに急速に拡大してきた。ステーブルコインを利用することで、世界各地の利用者は、従来の銀行インフラに伴う取引上限や、地域ごとの賭博規制といった制約を受けずに市場へアクセスできる。
ステーブルコインの時価総額は3000億ドルを超えているが、世界の銀行資産全体に占める割合は依然として1%未満だ。エブラール氏は、この規模の小ささが予測市場の成長可能性を制限するものではないと主張する。
同氏によると、ステーブルコインは銀行システムを置き換えるためのものではない。主な役割は、効率的な決済インフラを提供することにある。
「ステーブルコインは入り口であって、成長の上限ではない」
エブラール氏によると、予測市場の成長を制約する主な要因は別のところにある。
第一の大きな制約は規制だ。特定の国や地域で、利用者が予測市場に合法的に参加できるかどうかを左右する。2026年現在、主要国の間では予測市場をめぐる規制対応に大きな隔たりがある。
第二は、サービスの普及や利用経路に関する課題だ。口座開設、本人確認、ウォレットへの入金といった実務上の手間が含まれる。
第三は信頼だ。技術がどれほど高度であっても、最終的には、契約の結果が公正に判定され、払戻金が確実に支払われるという信頼を利用者が持てなければならない。
今後についてエブラール氏は、規制された金融インフラと暗号資産を基盤とするプラットフォームは直接競争するのではなく、次第に融合していくと予想している。
Kalshiはすでに規制された枠組みの中でUSDCによる入金を導入している。一方、Polymarketの米国事業基盤であるQCX LLCは、2025年7月にCFTCの指定契約市場となり、現在はPolymarket USの名称で運営されている。
どちらか一方が市場を独占するのではなく、規制された取引所がブロックチェーン決済を採用する一方、分散型プラットフォームが規制上の正当性を求める、ハイブリッド型の市場構造が形成されると同氏はみている。
「将来はハイブリッド型になる可能性が高い」とエブラール氏は結論付けた。
ヨハン・エブラール氏について

ヨハン・エブラール氏は、予測市場向けの分析インフラを開発するマーケットインテリジェンス企業、Predictive Labsの最高経営責任者を務める。
同社は、複数市場を横断した情報集約、Meta-Markets、意味解析、予測市場の各取引プラットフォームにおける行動シグナルなどを研究対象としている。


