エックスウィン アメリカマーケットリサーチアナリストのデリア・ロホです。
今週、米国では8月の生産者物価指数(PPI)と消費者物価指数(CPI)が相次いで発表されました。
企業が販売する商品やサービスの価格動向を示すPPIは、前月比0.4%、前年同月比5.4%上昇しました。特に財価格は前月比1.1%、エネルギー価格は4.2%上昇し、ディーゼル燃料は1カ月で24.1%も上昇しています。続いて発表されたCPIも前月比0.4%、前年同月比3.4%上昇しました。
PPIは生産者側、CPIは消費者側の価格動向を捉えます。二つの指標を並べると、エネルギーを起点とする価格上昇が企業段階で強まり、一般家庭へさらに波及するリスクが見えてきます。
今のアメリカで暮らしていると、この国には二つの経済が存在するように感じます。
一つは、AI投資や企業業績への期待で上昇する「ウォール街の経済」です。S&P500のトータルリターンは9月10日時点で年初来12.45%上昇しています。
もう一つは、ガソリンスタンド、スーパー、家賃の更新通知、クレジットカードの明細に表れる「生活者の経済」です。こちらには、株高ほどの明るさはありません。
ガソリン価格は、毎日目にするインフレ
米国のレギュラーガソリン価格は、9月7日時点で1ガロン4.157ドル。前年より約30%高い水準です。カリフォルニア州では平均5.678ドルに達しています。
8月のCPIでは、ガソリンは前年同月比27.4%上昇し、前月比でも3.9%上昇。ガソリンだけで、8月の物価上昇の3分の1以上を占めました。
さらに深刻なのが、トラック輸送や農業機械に使われるディーゼルです。全米平均は1ガロン5.967ドルと、前年より約58%上昇しています。これは運転する人だけの問題ではありません。食品、宅配、建設、農業などを通じ、今後ほかの商品価格へ波及する可能性があります。
一般の人は、CPIの前年比を見て生活しているわけではありません。給油機に表示される金額を、毎週見ています。ガソリン価格は、政治が暮らしを良くしているかを判断する、最も身近な物差しの一つです。
上昇率が鈍っても、生活は楽にならない
現在の問題は、すべての商品の値段が再び急騰していることではありません。しかし、物価全体の水準は2020年8月と比べて約29%高くなっています。インフレ率が低下しても、値段が2020年の水準へ戻るわけではありません。
典型的な全米家賃は月1,948ドル。上昇率は前年比2.5%まで鈍化しましたが、家賃そのものがすでに高いのです。30年固定住宅ローン金利は6.76%で、2020年9月の2.86%とは大きく異なります。購入を見送った人が賃貸市場にとどまることも、賃貸需要を支える要因になります。
自動車ローンはおおむね6~7%台、利息が発生しているクレジットカード口座の平均金利は22.15%です。生活費をカードで補えば、その場は乗り切れても、翌月以降の自由に使えるお金がさらに減っていきます。
一人のアメリカ人女性として感じる「逃げ道のなさ」
米国の女性フルタイム労働者の週給中央値は1,131ドルです。52週分で換算すると年収は約5万8,800ドル、月額の税引き前収入は約4,901ドルになります。
ここで、この収入の女性が一人で暮らす場合を想定してみます。
全米の典型的家賃1,948ドルを払い、新車の返済が月約740ドルあるとします。毎月1,000マイルを燃費25マイルの車で走ると、現在のガソリン代は約166ドル。カード残高が5,000ドルあれば、年利22.15%を単純に月割りした利息だけで約92ドルかかります。
この四つだけで月約2,947ドル。税引き前収入の約60%です。まだ税金、食費、光熱費、自動車保険、健康保険、医療費、携帯電話代は入っていません。
もちろん、これは条件を組み合わせた試算であり、すべての女性の家計を表すものではありません。それでも、働いて収入を得ていても余裕が生まれにくい構造は見えてきます。
私が感じる苦しさは、単に「物価が高い」ことではありません。車がなければ通勤できず、家賃が高くても簡単には引っ越せず、住宅ローンが高いため家も買えない。節約だけでは動かせない支出が多く、逃げ道が少ないのです。
貧困状態ではなくても、車の修理や突然の医療費が一度発生すれば、クレジットカードに頼らざるを得ない。そのような「普通に働いているのに、家計に十分な備えがない」という不安が、生活の重荷になっています。
政治への失望は、財布から生まれている
8月28~31日に行われたReuters/Ipsos調査では、登録有権者の47%が、中間選挙で最も重視する一つの要因として「生活費」を挙げました。
この数字から見えてくるのは、人々が政治に求めているものの具体性です。ガソリンを少しでも安く買えること。家賃を払ってもお金が残ること。病気や車の故障があっても、生活が立ち行かなくならないこと。そうした日常の安心が求められています。
政治への期待は、暮らしが改善したという実感があってこそ維持されます。物価対策や経済成長が語られても、毎月の支払いが重いままなら、「私たちの生活はいつ良くなるのか」という疑問が残ります。
株価や企業業績を強調しても、一般家庭が判断材料にするのは、給油代、スーパーのレシート、家賃、ローン返済額です。「経済は強い」という説明と自分の生活がかけ離れるほど、政治への距離感や失望も生まれやすくなります。
9月のミシガン大学消費者信頼感指数は47.8と、8月の51.7から低下しました。1年先のインフレ予想も4.0%から4.6%へ上昇しています。株価が上がっているにもかかわらず、生活者の心理は悪化しているのです。
こうした不満は、特定の政治家への評価にとどまらず、生活の不安に十分応えていないと感じられる政治全般への不信につながり得ます。
なぜ株高が一般家庭を救わないのか
株式を保有する米国人は少なくありません。しかし、その保有額は富裕層に大きく集中しており、上位10%が株式資産のおよそ90%を保有しています。
一般家庭が401(k)などの退職口座を持っていても、その含み益は今日の家賃やガソリン代に気軽に使えるお金ではありません。一方、資産を多く持つ世帯には株高による資産効果が生まれます。同じ米国経済の中で、一方は資産が増え、もう一方は毎月の現金収支に苦しむという隔たりが起きています。
また、株式市場は将来の企業利益を評価します。AI、データセンター、大手テクノロジー企業への期待が高まれば、消費者心理が悪くても株価は上昇できます。したがって、「株高=一般の米国人の暮らしが良い」とは限りません。
生活費の圧迫と、長期的に資産を守る視点
ガソリンとディーゼルの高値が長引けば、輸送費を通じて食品や日用品へ価格転嫁が広がる可能性があります。インフレ圧力が続けば、金融緩和も進みにくくなり、住宅ローン、カード、自動車ローンの負担が家計を圧迫し続けます。
金利が高止まりし、個人消費も鈍化すれば、企業業績や投資家のリスク許容度にも影響します。ビットコインを含むリスク資産も、短期的にはこうした環境で売られる可能性があります。
今の米国で私が感じるのは、家計から自由に使える余裕が失われる「生活余力の後退」です。一般の人々が見ているのは、毎月いくら残るか。政治への失望も、「経済が良いと言われても、私の生活は良くなっていない」という現実的な感覚から生まれています。
同時に、物価上昇が続く時代には、長期的的にお金の購買力をどう守るかという視点も欠かせません。株式や金に加え、供給上限を持つビットコインも、長期的なインフレ対策を考えるうえで検討される資産の一つです。ただし、ビットコインは価格変動が大きく、物価上昇に合わせて必ず値上がりするものではありません。
日々の生活資金と備えを確保したうえで、余裕資金を時間と資産に分散する。暮らしの安心を取り戻す政策とともに、長期的に資産の購買力を守るための視点が、今の私たちには必要だと感じます。
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