ページ内検索の窓に「お墨付き(お墨つき)」と打ち込み、全6回、約4カ月分の議事録を順にたどった。ヒットした数は、合わせて23件。
7月15日、暗号資産(仮想通貨)を金融商品取引法(金商法)の枠組みへ移す改正法が、参院本会議で可決・成立した。
歴史的な日に筆者が開いていたのは、昨年の金融審議会「暗号資産制度に関するワーキング・グループ(WG)」の議事録だった。
あの審議で繰り返された一つの言葉が、どこで生まれて、どう育っていったのか。どうしても確かめたくなったのだ。
初出は第2回(2025年9月2日)。大槻奈那氏(名古屋商科大学大学院教授)が「2017年のときのように法改正がお墨つきのような形で理解をされていくというのはよろしくない」と述べたのが最初だ。
注目すべきは、これが金商法移管に反対する立場からではなく、賛成する立場からの「くぎ刺し」として生まれた言葉だったことだろう。
金融庁の反応は早かった。同月の第3回では、事務局資料に「安全性にお墨つきを与えるものではなく」と明記される。委員の口語が、1カ月足らずで当局の公式文書の語彙になった。この回だけで登場回数は8回に跳ね上がっている。
興味深いのは、同じ言葉が立場によって別の顔を見せたことだ。
当局にとっては防御の言葉。IEOの実績を厳しく問うた岩下直行氏(京都大学公共政策大学院教授)の手にかかると、制度に取り込むこと自体が「お墨つきそのものになってしまう」という攻めの言葉に変わる。
さらに第5回で同氏は、与えるべきか否か以前に「そもそもお墨付きを与えることは原理的に不可能」とまで踏み込んだ。国内の規制が届くのは、グローバルな暗号資産市場のごく一部にすぎないからだ。
話は変わるが、筆者はかつてパチンコに通い詰めたクチだ。
規制で射幸性が抑えられるたびに、台は安全に、そして少しつまらなくなった。
保護とは、熱を冷ますことでもある。この改正が市場の何を守り、何を冷ますのか。答えはまだ分からない。
国会でも、この言葉は生き続けた。
参院の反対討論では「事実上のお墨付きになりかねない」と、今度は法案反対の論拠として使われ、成立前日の参院財政金融委員会では「制度整備が国のお墨付きではないことの周知」を求める附帯決議が、全会一致で採択された。
審議室の片隅で生まれた一つの口語が、約10カ月かけて国会の意思表示にまで昇格したことになる。
ここまで数えてきて、ふと思う。
23回という打ち消しの回数は、そのまま、打ち消したいものの大きさの証明ではないか。誰も心配していないことを、人は23回も否定しない。
この法改正が世の中で「お墨付き」として受け取られていくー。審議室にいた全員がそう確信していたからこそ、言葉は繰り返されたのだろう。
否定の言葉が市場に届きにくいことには、先例がある。2024年1月、米SECのゲンスラー委員長(当時)はビットコインETF承認にあたり「承認したが推奨はしない」と異例の声明を出した。
市場はその言葉を素通りし、ETFには巨額の資金が流れ込んだ。認めることと勧めることを、規制当局は切り分けられるのか。
とりまとめの最終回、森下哲朗座長(上智大学法学部教授)は「報道される場合は、お墨付きではないという点を正確に伝えてほしい」と審議を締めくくった。
ライブ配信を視聴していた筆者を含むメディアに向けられた言葉である。
その要請に応えるつもりで、本稿では23回の軌跡を数え直してみた。
繰り返された「お墨付きではない」は、果たして市場に届くのか。
|文:栃山直樹
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