最初に結論を言ってしまうと、「Web3は死語になった」——これは”ある意味”で本当だ。
なぜこんな歯切れの悪い言い方になるのか。
最近、「Web3はもう終わった(死語だ)」という言葉を、あちこちで耳にしたり、目にしたりする。
国会議員へのインタビューでも
先日、川崎議員にインタビューした際にも、興味深い瞬間があった。
議員自身は「Web3は死んでいない」と熱く語った。
だが印象的だったのは、そもそも「世間では『Web3はもう終わった(死語だ)』と思われているよね」という空気のほうだ。
インタビューの場でも、「まあ、そうだよね」とお互いに分かった上で話が進んでいたのである。
試しに、Xで [Web3 死語] と検索してみてほしい。たくさんの投稿が出てくるはずだ。
また5月20日、NADA NEWSで開催した「Web3川柳コンテスト」のライブ配信でのことだ。
「ミスビットコイン」として長年業界を見てきた藤本真衣さんが、「もう業界が変わったと認めないといけない。すっかり違うものになってしまった」と寂しげに語っていた声も耳に残っている。
2022年半ばをピークに
実際、「Web3」という言葉の使用頻度は目に見えて減っている。
Googleトレンドで日本国内における過去5年間の検索推移を見てみると、2022年半ばのピークを境に右肩下がりを描き、現在は当時の熱狂とは程遠い水準に落ち着いている。

先輩記者は、現在の業界の状況をこう指摘する。
「Web3どころか、今や『Crypto』という言葉すら現場では使われなくなってきた。みんな普通に『フィンテック』と呼んでいる。我々は今、改めて『ビットコインって一体何なの?』から考えないといけない段階にある」と。
聞かれなくなった言葉
思えば、私がこの世界に足を踏み入れた2018年、初めてビットコインを買った動機は「なんか上がりそうだから」という単純なものだった。
しかしその後、この領域にどっぷりとハマったのは、NFTとそれを包み込むWeb3の思想に触れたからだ。
手元に、一冊の分厚い本がある。

この「マスタリング・イーサリアム」を通じて、ギャビン・ウッドが提唱したWeb3の概念に触れた。
特定の巨大IT企業にデータを握られず、システム上は「非中央集権(Decentralized)」である構造に、私は強く胸が高鳴った。
あの頃の業界には「コミュニティ」や「ボトムアップ」という言葉が飛び交っていた。
トップダウンではなく、個人が集まりフラットな場所から新しいプロジェクトが生まれる。そんなビジョンに、世界が変わる予感を覚えた。
残った300枚のNFTと皮肉
私のウォレットには、約300枚のNFTが今なお、在る。
しかし、この熱狂の記録から目を離し、再びメディアの前線へと視線を戻したとき、私は強烈な皮肉に気づかされる。
今の業界メディアのトップニュースを飾るのは、巨大資本によるETFへの資金流入や、大手金融機関のステーブルコイン参入、各国の法規制や税制整備といった話題が中心となっている。
既存のシステムへのカウンターパンチとして生まれた非中央集権のムーブメントを今牽引しているのは、国家や大資本という「究極の中央集権」なのだ。
「当たり前」になりつつあるWeb3
「Web3は死語になった」——その通りかもしれない。
だが、死んだのは技術ではなく「非中央集権で世界が劇的に変わる」という思想的な期待だ。
お祭り騒ぎは終わり、ブロックチェーンの仕組みは、ひっそりと「中央集権のルール」に溶け込みだしている。言葉が使われなくなったのは、新しい技術が社会に定着し始めた証拠でもある。
ルールが整い始めた今こそ、一般企業でも「稟議が通る」現実的なITインフラとして活用できるフェーズに入った。
だからこそ先輩記者が言うように、私たちは今、改めて技術の本当の価値を見直す時期にきている。
よくよく思い返してみれば、SNSが誕生した頃、世間の誰も「今、俺たちは『新しいWeb』を使っている!」なんて言っていなかった。

「Web2」という言葉など意識されなくても、個人が発信し繋がるというその思想は根付いたのだ。だとすれば、Web3が死語になるのは必然だったのかもしれない。
誰もあえて呼ぶことのない、「当たり前」になりつつあるー。
この答えで納得してもらえるだろうか。
|文:栃山直樹
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