日本人の中に刷り込まれた「貧困美学」
日本人が投資やビットコインに消極的な理由は、金融リテラシーの不足だけではない。その奥には、長い時間をかけて刷り込まれてきた価値観がある。
江戸時代、徳川幕府は約300年にわたり庶民を統治した。その中で広く浸透したのが、「清貧は美しい」という考え方だ。
「武士は食わねど高楊枝」という言葉に象徴されるように、貧しくても誇り高くあれ、欲を見せるなという教えが、社会の隅々まで行き渡った。
明治維新を経ても、この価値観は消えなかった。戦後になると、「額に汗して働くことが美しい」という形で再強化され、高度経済成長期には勤勉さそのものが称賛された。
一方で、投資でお金を得ることは、「汗水流さずに稼ぐもの」として、どこか後ろめたい行為と見なされてきた。
これが、日本人の中に今も残る「貧困美学」という名の刷り込みである。
「まじめに働く人ほど豊かになれない」という現実
だが、現実はどうだろうか。介護職、農業、工場労働など、肉体的にも精神的にも過酷な仕事ほど、給料は高くない。一方で、空調の効いたオフィスで頭を使う仕事の方が、安定した収入を得やすい構造になっている。
つまり、「額に汗して働く人ほど報われる」という教えは、すでに社会の仕組みと一致していない。
それでも多くの日本人は、「汗をかかずに稼ぐこと」に対して、どこか後ろめたさを感じてしまう。
投資で成果を出した人を見ると、「うまいことやった」「ずるい」という感情が湧いてくる。これは個人の性格の問題ではなく、長い時間をかけて形成された集団的な思考の癖だ。
お金を語らない教育が「考えない大人」を生んだ
日本では、お金の話をすること自体が、長らくタブー視されてきた。給料の話は避けられ、投資の話をすれば「お金に汚い人」と思われかねない空気がある。
その背景には、教育の問題がある。学校では、「お金とは何か」「なぜ社会で必要なのか」「どう扱うべきか」を体系的に学ぶ機会が、ほとんどない。
子どもの頃は、理由を問われることなくお金が与えられ、大人になれば、給料も税金も会社が自動的に処理してくれる。
その結果、多くの人が「お金について深く考えないまま」社会に出る。
これは偶然ではない。お金について考えない国民の方が、管理する側にとって都合がいいからだ。
もちろん、金融教育の導入やNISAの普及など、変化の兆しは見え始めている。
だが、それでもまだ十分とは言えない。お金の話は、下品でも恥ずかしいものでもない。資本主義社会で生きる以上、避けて通れない基礎知識だ。
このタブーから抜け出さない限り、日本人が主体的にお金を選び、ビットコインのような新しい選択肢と向き合うことは難しいだろう。
詳細は書籍『ビットコイン持ってますか?: なぜ日本人は「お金の話」と「ビットコイン」を避けるのか?』から。
書籍概要
タイトル:『ビットコイン持ってますか?: なぜ日本人は「お金の話」と「ビットコイン」を避けるのか?』
著者:株式会社ANAPホールディングス代表取締役社長・フルグル合同会社CEO
川合林太郎

